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2021年01月27日

追悼―山崎達光名誉会長のご冥福を心よりお祈り申し上げます

 山崎達光名誉会長(元エスビー食品会長)が昨年12月6日、虚血性心不全のためご逝去された。享年86歳、ご自宅で眠るような大往生であったという。
 つい先日までお元気な様子で、東京オリンピックを楽しみにしておられたという。草創期の頃から、その卓越したリーダーシップで日本のヨット界を牽引してこられた、山崎達光名誉会長ご逝去の報に、日本セーリング連盟、外洋ヨット界、全国の大勢のヨット仲間が深い悲しみに包まれている。

 1934年東京に生まれた山崎名誉会長は、高校時代にヨットと出逢い、早稲田大学ではヨット部に所属、卒業後は、外洋レーサー<サンバード>のオーナーとして国内外の外洋レースで活躍し、黎明期の外洋ヨット界を牽引した。チャイナ・シーレース、シドニー~ホバートレース、アドミラルズカップなどメジャーな海外レースにも積極的に参加し、その集大成が、夢への挑戦、1851年から続く世界最高峰のヨットレース、アメリカズカップへの挑戦だった。

 「 長い人生、一度くらい、死に物狂いの挑戦をしてみよう。
 たとえ、成功しなくても、一生の宝物が得られます 」 (…山崎達光)

 シンジケート「ニッポンチャレンジ」を組織し、1992年、1995年、2000年と、3度におよぶアメリカズカップへの挑戦は、ともにベスト4に進出するという好成績をあげ、日本のヨット界に燦然と輝く偉業を成し遂げ、歴史を刻んだ。

 アメリカズカップ挑戦のあと、2001年から10年間にわたって、日本セーリング連盟の会長を務められヨット界の発展に貢献、会長退任後は、名誉会長として後進の指導に当たりながら、こよなく愛した大好きな海でセーリングを楽しんでいた。
 日本ヨット界に多大な足跡を残して逝った、山崎達光日本セーリング連盟名誉会長のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。(本橋一男)