yachting(ヨッティング)は、海を愛するひとびとの総合情報羅針盤です。

連載 あるオールドソルティ―の追憶

第一回  三原隆司のこと  武村洋一

 いまから60年も前の、早稲田大学ヨット部の話。
 なんでこんな奴がヨット部に入ってきたんだろう、と思わせたのが三原隆司だった。
 ある日の朝、早稲田大学法学部の教室。いま、まさに1時限目の授業が始まろうとしていた。教授がゆっくりと入って来て教壇に立った。学生たちのざわめきがやみ、一瞬教室内は静けさをとりもどした。と、その時、教室の一隅からかなり大きな鼾音が聞こえてきたのだ。まわりの数人が鼾音の発生源を確認して、くすくすと笑いだした。笑いは広がり教室内が爆笑で満ち溢れた。教授は、笑いがおさまるのを待って、「今日は授業をしません」と苦り切ってそう云うと足早に教室から出て行ってしまった。
 鼾の張本人は、法学部2年生三原隆司であった。前夜、かなり晩くまで学校の近くで酒を飲み、仲間がみんな帰ってしまうと、家に帰るのがめんどうくさくなった三原は、翌日の最初の授業が行われる教室に入り込んで寝てしまったのであった。このへんの判断は酔っ払いにしては、ずいぶん合理的で無駄のない行動だったと云える。
 後日、この事件は教授会で停学2年間の決定があり、三原はその間学生服を脱ぎ、川崎や横浜の工事現場で働き、飲み代を稼いでいたそうだ。
 復学した三原は、3年生になってからヨット部に入ってきた。肥満・短躯、下駄を履いた三原はどう見てもヨット部の柄ではなかった。三原には、ヨット部に入って選手を目指そうなどという気はまったくなく、ただ、なんとなく海、港、酒、の世界に魅せられた、と後になって聞いたことがある。
 それでも、ヨット部員なのだから帆走練習はした。熱心に練習には来ていた。そんなある日、「しばらく休ませてください」と申し出てきた。理由は、大阪まで行って来るという。「そんなことなら2、3日で済むだろう」と返すと、2、3ヶ月かかると云う。東京・大阪間無銭徒歩旅行を計画しているとのことであった。ヨット部にとって、あまり戦力でもないし、面白そうなので「じゃあ、気をつけて行って来いや」ということになった。
 三原の東京・大阪間無銭徒歩旅行は成功した。いつしか経路地域の地方紙がリレーで取材、三原はけっこうな有名人になってしまった。各地で歓迎され、酒食・風呂・宿泊の接待をうけたこと、下駄のすり減るのが予想を超えて早かったこと、など戻って来た三原から聞かされた。(つづく)

武村洋一 たけむらよういち

1933年神奈川県横須賀市生まれ。
旧制横須賀中学から早稲田大学高等学院、早稲田大学に進みヨット部に。
インカレ、伝統の早慶戦等で活躍し、卒業後は黎明期の外洋ヨット界に転じ、
国内外の外洋レースに数多く参加し活躍。3度のアメリカズカップ挑戦にも参画。
主な著書に「海が燃えた日」「古い旅券」など。