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2022年07月04日
第51回船橋ボートパークヨットレース“サッポロビール杯”
ヨット好きの仲間が集った“手作り”のクラブレース
人口64万人を誇る船橋市の、船橋駅から徒歩20分、車なら5分の場所に船橋漁港がある。都心からのアクセスもよく、「漁師町」としての風情を残す漁港の一角に、付帯施設として、4本の浮桟橋に約200隻のヨット、ボートが係留されているのが「船橋ボートパーク」だ。
今回で51回目を数える「船橋ボートパークヨットレース サッポロビール杯」は、同施設に係留する20~25隻のクルーザーが参加して親睦を深めるクラブレースで、毎年、3月、6月、9月、11月の年4回開催され、今回で51回目。今回は、6月19日に27艇が参加して賑やかに開催された。
コースは、船橋漁港を出港してから、習志野市茜浜のZOZOTOWN倉庫沖をスタート、湾の沖合に浮かぶ千葉港波浪観測塔をまわり、ZOZOTOWN倉庫沖にフィニッシュするコースで、大小の漁船が行き交うなかを競い合う、東京湾ならではのレース風景が妙味ともいえる。
“このボートパークには、バースとトイレと駐車場しかないが、船橋の雰囲気が良くて、ボートパークに集まってくる仲間たちが好き。管理人さんも良い人で、都会のど真ん中に船を置けるだけでも有難いと思っています」(斎藤守さん)
以下は、<PANTA RHEI>の艇長、斎藤守さんの優勝記である。
朝8時に船に着きジェネカーをセットする。前回はこれがうまくいかず3位となってしまった気がするので、今回は慎重にいこうと思い何回も確認をした。
メインセールをセットし終わりフェンダーを取っているとクルーたちがやってきた。私を含め全員が同じ学校のヨット部OBで、一人は先輩、次に同級生、そして二人は後輩の初めてのチームとなった。年長の3人は同時期に合宿や試合を経験している気心の知れた仲間であり、特に同級生とは試合で彼がスキッパーでコンビを組んでいた。
最年少の後輩は現在ヨット部の部長を任されていて、学生たちの育成に貢献している。挨拶もほどほどにジブをセットしてレース海面へと向かう。気持ち良い風に当たりながらサッポロ千葉ビール園を左手に見て少し行ったところに本部艇がいる。その周辺で、ポートタックでジェネカーを上げて確認し、スタートの準備にかかった。
このレースは、毎回同じ目標物をまわってくるソーセージコースで、風向には関係なく本部艇が沖寄りでアウターマークが海岸寄りに設定され、スタートがランニングという場合もあるが、今回は本部艇側有利のほぼスターボードのクローズだったので、混雑を避け、初めからラインの中央付近にスタート位置を想定し、上手くフレッシュウインドを掴みスタートできた。
このレースが初めてのチームで、なんのレクチャーもなく走り出したが流石に全員の息も会い、各々が自発的に自分のポジションに就きヒールやトリム又はナビゲーションをしてくれている。
やはり、学生時代のクラブ活動の賜物である。スタート後、順調に折り返し地点の目標物まで走り、前回の優勝艇で、いつもお世話になっている磯谷さんの<Milky WayⅢ>に続き2位で回航し、いよいよジェネカーの出番である。今回は、失敗は絶対にしないように、ジブを完全に降ろしてから上げるように初めから決めておいたので、その通りに進みますます順調に帆走する。 フィニッシュまではアビームよりやや下りのプロパーコースだったので、ジェネカーがズバリでトップに立ってしまった。2番手、3番手の2艇はスピネーカーなので、やや下りのコースをとらなければヒールするばかりでなんとも苦しそうだった。
そしてやってきたフィニッシュ。マークを反時計回りに回り込むゴールなので、石橋を叩いて渡るように、かなり手前からジェネカーを下ろし、そのままジブを上げないでフィニッシュ。
レース展開は計画通りに進み、トップフィニッシュというおまけが付いて、全員でヨットレースの喜びを分かち合えたレースだった。フィニッシュ後、すぐに、クルー全員から、“次のレースはいつなのか”と聞かれ、気の合った仲間たちと、ヨットレースの面白さを存分に味わえたことが非常に嬉しかった、一日だった。 <PANTA RHEI>チーム・メモ
今大会の乗員は、末石研二、田中潤一、齋藤守、市川秀樹、野本俊太郎さんの5名。全員、東京歯科大学ヨット部OBで、スキッパーの斎藤守さんは、1956年千葉県出身で習志野市在住、大学ヨット部主将時代に全国歯科学生体育大会で優勝した経験を持つ。艇名の<PANTA RHEI>は古代ギリシアの哲学者へラクレイトスの思想を表す言葉で「万物は流転する」の意だそうだ。
撮影/野口隆司
今回で51回目を数える「船橋ボートパークヨットレース サッポロビール杯」は、同施設に係留する20~25隻のクルーザーが参加して親睦を深めるクラブレースで、毎年、3月、6月、9月、11月の年4回開催され、今回で51回目。今回は、6月19日に27艇が参加して賑やかに開催された。
コースは、船橋漁港を出港してから、習志野市茜浜のZOZOTOWN倉庫沖をスタート、湾の沖合に浮かぶ千葉港波浪観測塔をまわり、ZOZOTOWN倉庫沖にフィニッシュするコースで、大小の漁船が行き交うなかを競い合う、東京湾ならではのレース風景が妙味ともいえる。
出港準備、、
当日、駐車場で艇長会議、、、
スタートは習志野市茜浜のZOZOTOWN倉庫沖、、
湾の沖合に浮かぶ千葉港波浪観測塔を回航して
レースも無事に終わり表彰式が始まる
レース運営に携わった有志の皆さん、、、
さて、今回優勝した<PANTA RHEI>(横山晃設計ZEN24)は、2015年2月よりボートパークに在籍し、2017年10月から現在の艇で活動する歯医者さんチーム。“このボートパークには、バースとトイレと駐車場しかないが、船橋の雰囲気が良くて、ボートパークに集まってくる仲間たちが好き。管理人さんも良い人で、都会のど真ん中に船を置けるだけでも有難いと思っています」(斎藤守さん)
以下は、<PANTA RHEI>の艇長、斎藤守さんの優勝記である。
<PANTA RHEI>優勝に向かって――――齋藤 守
少し前の天気予報は雨で風も8メートルくらいだったが、レース当日は、やや雲はあるが太陽が出て暑く、風速も4メートルくらいだろうか。朝8時に船に着きジェネカーをセットする。前回はこれがうまくいかず3位となってしまった気がするので、今回は慎重にいこうと思い何回も確認をした。
メインセールをセットし終わりフェンダーを取っているとクルーたちがやってきた。私を含め全員が同じ学校のヨット部OBで、一人は先輩、次に同級生、そして二人は後輩の初めてのチームとなった。年長の3人は同時期に合宿や試合を経験している気心の知れた仲間であり、特に同級生とは試合で彼がスキッパーでコンビを組んでいた。
最年少の後輩は現在ヨット部の部長を任されていて、学生たちの育成に貢献している。挨拶もほどほどにジブをセットしてレース海面へと向かう。気持ち良い風に当たりながらサッポロ千葉ビール園を左手に見て少し行ったところに本部艇がいる。その周辺で、ポートタックでジェネカーを上げて確認し、スタートの準備にかかった。
このレースは、毎回同じ目標物をまわってくるソーセージコースで、風向には関係なく本部艇が沖寄りでアウターマークが海岸寄りに設定され、スタートがランニングという場合もあるが、今回は本部艇側有利のほぼスターボードのクローズだったので、混雑を避け、初めからラインの中央付近にスタート位置を想定し、上手くフレッシュウインドを掴みスタートできた。
このレースが初めてのチームで、なんのレクチャーもなく走り出したが流石に全員の息も会い、各々が自発的に自分のポジションに就きヒールやトリム又はナビゲーションをしてくれている。
やはり、学生時代のクラブ活動の賜物である。スタート後、順調に折り返し地点の目標物まで走り、前回の優勝艇で、いつもお世話になっている磯谷さんの<Milky WayⅢ>に続き2位で回航し、いよいよジェネカーの出番である。今回は、失敗は絶対にしないように、ジブを完全に降ろしてから上げるように初めから決めておいたので、その通りに進みますます順調に帆走する。 フィニッシュまではアビームよりやや下りのプロパーコースだったので、ジェネカーがズバリでトップに立ってしまった。2番手、3番手の2艇はスピネーカーなので、やや下りのコースをとらなければヒールするばかりでなんとも苦しそうだった。
そしてやってきたフィニッシュ。マークを反時計回りに回り込むゴールなので、石橋を叩いて渡るように、かなり手前からジェネカーを下ろし、そのままジブを上げないでフィニッシュ。
レース展開は計画通りに進み、トップフィニッシュというおまけが付いて、全員でヨットレースの喜びを分かち合えたレースだった。フィニッシュ後、すぐに、クルー全員から、“次のレースはいつなのか”と聞かれ、気の合った仲間たちと、ヨットレースの面白さを存分に味わえたことが非常に嬉しかった、一日だった。 <PANTA RHEI>チーム・メモ
今大会の乗員は、末石研二、田中潤一、齋藤守、市川秀樹、野本俊太郎さんの5名。全員、東京歯科大学ヨット部OBで、スキッパーの斎藤守さんは、1956年千葉県出身で習志野市在住、大学ヨット部主将時代に全国歯科学生体育大会で優勝した経験を持つ。艇名の<PANTA RHEI>は古代ギリシアの哲学者へラクレイトスの思想を表す言葉で「万物は流転する」の意だそうだ。
撮影/野口隆司