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2024年05月07日

『春風忌 33』に寄せて…
大勢の仲間が、海に還った武市俊さんを偲んだ日、、、

 或る日、私のところに1通のメールが届いた。
 それは、1991年(平成3年)12月29日、ジャパン→グアムレースに参加した<タカ号>で遭難、海に還った武市俊さん(享年56歳)の、お嬢さんからの案内状だった。
 
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 『生前、父・武市俊と親交のあった皆様へ
 
 1992年1月10日に、武市が海の向こうへ旅立って、
 早いもので32年が経ち三十三回忌を迎えました。

 そこで、この機会に皆様にお集まりいただき旧交を温めさせていただくとともに、
 武市にまつわるエピソードなどをお聞かせいただければ幸いと、『春風忌33』という形で、
 集いを企画しましたのでご案内申し上げます。

 一人でも多くの皆様にお会いできますことを心より楽しみにしております。
 
武市美帆

  『春風忌(しゅうんぷうき)』
 武市一周忌にRODEM戸田オーナーが名付けてくださり、折にふれRODEMクルーを
 中心に集まってくださっていました。三十三回忌の節目にあたりまして、こうした形での会は
 今回が最後になるかもしれないと考えております。
 なお、戸田オーナーはご自宅にて療養中のため、残念ですが今回はご参加になれません。』
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 あれから、もう、そんなに経ったのか…
 時空の流れに、悲しかったことも、悔しかったことも、、、


 武市俊さんは、黎明期の日本ヨット界を代表する著名なヨットデザイナーとして、また、一流のヨット乗りとして多くのヨットマンに慕われ、若手クルーの尊敬を一身に集めてきた大先輩だった。

 1935年(昭和10年)徳島県に生まれた武市俊さんは、高校2年の時に吉谷竜一さん(日本ヨット界の草分け、元早大教授)にヨットの手ほどきを受け、以来、“ヨットの虫”となる。
 1960年には、ヨット設計家横山晃さんに師事し、ヨットデザイナーとしての第一歩を踏み出し、同時に、名艇<シレナ>のクルーとして外洋にも本格的に乗り出した。
 1964年より数年間、造船の現場で実践を積む傍ら、個人的にデザインを依頼された2隻の外洋クルーザーを設計した。この処女作<はやまる>、<くろしお>は全長が33ft、2隻の新鋭艇が、興隆盛んな外洋レース界に旋風を巻き起こし、武市さんの忘れられない出世作となった。
 1969年、1971年には、自らデザインした<バーゴ>Ⅰ、Ⅱでシドニー・ホバートレースに出場。また、1973年には、全長96ftの帆船<シナーラ>を英国から日本まで回航するため、1万7千マイルの航海を無事に成し遂げている。
 云うまでもなく、国内の主要な外洋レースにも数多く参加しており、優勝経験も豊富。代表的な作品にはブルーウォーター・シリーズの21,24,25,33ftがある。

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 私が舵社に入社して1年目の新人記者時代、すでに独立してデザイン事務所を構えていた武市さんに、先輩記者に連れられて挨拶に行ったことがある。真っ黒に日焼けして、あの人懐っこい、それでいて、ひとを惹きつける笑顔が印象的な武市さんは、緊張して挨拶する新人記者に、「ガハハハッ」と笑いながら、気さくに話をしてくれたのが、いまでもはっきりと記憶に残っている。
 それから、編集部時代に、武市さん設計の、話題の新艇を取材したり、当時、毎週のように行われていたレースに同乗取材させてもらったり、島回りレースの解説記事をお願いしたりと、多方面でお世話になった。

 武市さんと、いちばん密度の濃いお付き合いをさせていただいたのは、1976年1月、舵社が武市俊さん著作の『走れ!――サンバード』という単行本を出版したときだった。
 この本は、前年に開催された沖縄海洋博を記念して企画された太平洋シングルハンドレースで、自らが設計した<SUN BIRD Ⅵ>でサンフランシスコから沖縄まで、6500哩を走破した、武市さんのレース奮闘記で、この出版企画に、私も舵社の編集担当者として参加させてもらった。
 茅ケ崎の事務所でデザインに取り組んでいたとき、横須賀の加藤ボートで建造していたとき、進水式でシャンパンの洗礼を受けたとき、小網代沖でのテスト・セーリングで大波のなかを快走したとき、品川埠頭からコンテナ船に積み込まれてサンフランシスコに旅立ったとき――そして、沖縄の海で、フィニッシュ間近の<SUN BIRD Ⅵ>を出迎えたとき、、、
 この『走れ!――サンバード』という本造りを通して、私は、武市さんから多くのことを学び、本当のシーマンシップというものを体感したような気がする。
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武市さんを慕う仲間の絆はいまでも強い


 『春風忌 33』の会場には、武市さんとともに数々のレースを闘った<RODEM>のクルーを中心に、デザイン、造船、友人関係と、大勢のヨット仲間が集まって、武市さんを偲び、懐かしい思い出話を語り合った。

 「武市さんは、やんちゃ盛りの弟たちを厳しく叱り、優しく導いてくれるクルーたちの長男のような存在だったように思います…だから、いったん海に出ると、自分の命はもちろん、お互いの命への責任も負うのだから、フネの仲間の絆は本当に強いんです…」

 「武市さんは海へ還って行ったけれど、その魂は海の仲間たちの絆をより強く結びつけてくれたような気がします…友人や先輩、昔の仲間に、年にいちど、こうして逢えるのも武市さんのお陰だね…」

 武市さんを偲び、<RODEM>オーナーの戸田さんが、武市さんが亡くなった1月を『春風忌』と名付けて、親しい仲間が集まって供養してきたこの会も今回が32回目、節目の33回忌を迎える。
 そして、武市さんとともに海で遊び、ヨットで鍛えられたクルーたちも、56歳で海に還った武市さんの年齢をはるかに超えたいまでも、その思い出は、海の仲間たちの絆をより強く結びつけてくれたような気がするが…
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 三浦半島・シーボニアマリーナに舫われた大小のヨットが夕日に照らされ、辺りが暮れなずむ頃、『春風忌 33』は静かに幕を閉じた。
 30数年を経てひとつの区切りをつけた仲間たち、だけど、友情の絆は永遠につづき、
 「また、逢おうね、、」の言葉をあとに、別れを惜しみながら、三々五々、帰路についた、、、

 取材・文 本橋一男
 取材協力/『春風忌 33』実行委員会

 メモ…<マリンマリン><タカ号>の遭難
 1991年12月26日、「トーヨコカップ ジャパンーグアムヨットレース’92」に参加した9艇が小網代沖をスタートしたが、台風並みの強風と大波という未曽有の荒天下、27日に<マリンマリン>から落水者1名死亡。30日にはバラスト脱落により<マリンマリン>転覆。4名死亡。4名行方不明。1名が救助される。29日には<タカ号>が遭難転覆、1名が船内で死亡。6人がライフラフトで脱出するも、僅かな水や食料も尽き果て、1月10日に1名、11日に3名、16日に1名が死亡。1月25日午後4時半、唯一の生存者佐野三治さん(当時31歳)が英国の貨物船に救助される。2艇とも、助かったものはそれぞれ1名だけだった。すでに、30数年も経過している遭難事故の詳細を知る人も少ない。