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【インタビュー】私の提言―日本ヨット界の興隆には“イベント活性化”が原点となる

平井昭光

1960年横浜市生まれ。学生時代に始めたヨットに魅せられて30余年。2013年には愛艇<CRESCENT Ⅲ>で“トランスパック2013”に出場、ディビジョン5で2位と健闘する。葉山マリーナヨットクラブ第7代会長、日本セーリング連盟理事、外洋湘南副会長などの要職を務める傍ら、自らもオーナー/スキッパーとして外洋レースを楽しむ現役セーラーでもある。


・ヨットを始めたのは大学生のときとお伺いしましたが

 確か、大学1年生のとき、叔父が持っていたミニホッパーを“お前にあげるよ”と貰って。その小さなディンギーを車に積んで千葉の館山湾で初めて乗ったとき、水面を滑るように走る感覚に痺れ、ヨットの虜になりました。それから、鎌倉にあったヨットクラブでセーリングの基礎を学び、ミニホッパーからシーホッパー、シーラークとヨットを乗り換えて。ホームポートも材木座から熱海へ。友人たちと気ままなヨットライフを楽しんでいました。
 クルーザーに乗り始めたのは30歳の頃だったかな。あるとき、強風の多賀湾で沈をしたシーラークがどうしても起こせなかった。そのとき、体力的にも“そろそろディンギーは卒業かな”と(笑)
 クルーザーはヤマハの<Y-23Ⅱ>が最初のフネで泊地は沼津でした。それから<31S>に乗り換えて、ひとりで沼津から松崎までのんびりクルージングしたり、駿河湾横断レースに参加したりと、気ままにレースやクルージングの日々を満喫していました。沼津には足掛け14年ほど通い、楽しい思い出がいっぱい残っています。でも、 ちょうどこの頃から仕事が忙しくなり、時間的な制約も厳しくなって…自宅が湘南の海に近いということもあって葉山マリーナに移りました。


・ここからチーム<CRESCENT>の新しいページが始まったわけですね

 “トランスパック”は昔から憧れていました。石原慎太郎さんの本に刺激されて“いつかは自分のフネで出場したい”と。そして、“トランスパック2013”でやっとその夢が叶いました。このレースではディビジョン5で2位になりました。

 これまで、数多くの外洋レースに参加してきましたが、海の怖さ、厳しさを本当に実感できたのは2012年の沖縄―東海レースのときでした。大荒れのレースとなり、私の艇も波の衝撃でスタンションが折れてしまった、そんな大時化の海で落水事故が起こりました。
 落水事故が起こったとき、落水者のポジションが全艇に知らされ、救助に向かうかどうかは各艇に委ねられました。このとき、私たちは落水現場から160マイルも離れていて、一生懸命戻っても1日以上掛かるような海面にいました。これだけ離れていると救助要請があっても、現場に向かうのはなかなか困難な状況でした。この状況のなかで、私は、艇長の責務を果たさなければならなかったのです。それは、160海里も離れた落水現場に向かうかどうかの判断です。大時化のなかで長時間走るという状況下では艇やクルーをも危険に晒さねばならず、最終的には救助を断念する決断を下しました。私にとって初めての重い決断でした。仲間の尊い命が失われて…このときほど、つらく、悲しい思いをしたことはありませんでした。
 人生は仕事でもプライベートでも「決断」の連続です。私は仕事柄、重い決断を瞬時に行うことに慣れていますが、人命に関する決断を迫られたことはほとんどありません。でも、外洋ヨットで航海にでたとき、とくに、レース艇の艇長は、自艇や他のフネに限らず、人命に関する重要な決断を迫られることが必ずあります。その心構えをつねに持つことを痛感しました。
 レースであれ、クルージングであれ、港を離れて航海に出かければ、どんなことが起ころうと最後の決断を下す人間はひとりです。ふたりいては絶対に駄目です。仮にオーナーが一緒でも、艇長に全権を委ねれば艇長が最終決断を下さなければならない。これは海で遊ぶものの普遍的なルールだと思いますね。


・落水事故はなかなか無くならない。対策はどうしたらよいと…

 「片手はフネのために。片手は自分のために」という言葉がありますね。これは“自分の身は自分で守る”という先人たちの知恵から生まれて、いままで語り継がれてきた戒めの言葉だと思うのです。たとえば、ライフジャケットは必ず付けるとか、初歩的なことから始まって最新の装備品まで身を守る術はたくさんありますから、とにかく、安全に対する認識を高めて、基本をひとつひとつ大事に守ることだと思いますね。
 外洋レースに参加するオーナーも、JSAFのメンバーであればOSR(国際的な外洋安全規則)に則って安全教育をやる義務がありますし、私の所属する外洋湘南や他の外洋団体でも安全講習会をやっていますので、会員でない一般のヨットマンでも自由に受けて安全に対する認識を高めることが出来ます。


・ヨットクラブの在るべき姿とはどのようなものでしょうか

 私の所属する葉山マリーナヨットクラブ(HMYC)を例にとると、クラブのメンバーは200名近くいますが海との関わり方はそれぞれ異なります。ヨットレースが好きなひともいれば、クルージングを楽しむひと、魚釣りが大好きなひともいます。でも、たとえば、クラブが主宰するイベントがあれば、皆それぞれ知恵を出し合い、協力し合って大会を成功させます。だから、組織的にみてもHMYCは欧米のヨットクラブと比肩できるクラブだと思っています。
 ヨットクラブは同好の士が集い憩う場所でもあります。欧米のヨットクラブは地域コミュニティをつくり社交の場としての役割も果たしています。HMYCも地域に貢献し、ジュニアヨットマンを育て、仲間をどんどん増やしていくなかで、クラブメンバーもより豊かなクラブライフを楽しむ…これからも、そんなヨットクラブをつくっていきたいですね。


・最後に、セーリングの素晴らしさを後世に託すためには

 個人的な印象ですが、総じて、日本のヨット界も不況から脱しつつある感があります。
 ディンギーに乗っていた若いセーラーたちもすぐに止めてしまうのではなく、キールボートクラブを足がかりに外洋ヨットにも乗り始めているし、島回りレースなどの参加艇も増えてきています。
 HMYCも先人たちの努力もあってクラブレースも大変盛んになってきています。その結果、いろいろな人が集まってきて新しいフネをつくったり、<メルジェス>のようなフネを輸入したりしてイベント自体が賑やかになり盛り上がってくる。
 つまり、いいイベントやいいレースをきちんと続けていけば必ずそのクラブや団体は発展していくし興隆をみるわけです。そこに関連するひとも増えてくるし、当然、ひとが集まればレースなどのイベントも大いに盛り上がる…これが王道だと思いますね。それぞれのクラブや団体でアプローチの方法が異なるかも知れませんが、人々が喜ぶ、あるいはセーラーが喜ぶことをきちんとやり遂げることが大事だと思います。
 私の個人的な考えですが、HMYCの人間としては、みんなが喜ぶイベントをきちんと実践して裾野を広げて仲間を増やしていきたい。外洋湘南の人間としては、湘南水域のいろいろなクラブや団体をサポートして湘南水域全体が活性化するようにしたい。そんな水域が全国に増えて行けば、必ず、日本ヨット界の興隆につながります。
 そんなときが来るのも、そう遠くないような気もします。