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【インタビュー】私の提言―次代を見据えた艇種の選定こそが未来の礎

平松隆

1950年東京生まれ。父、平松栄一氏(2004年没享年91歳)の薫陶を受け幼児期よりヨットに親しむ。慶応高校、慶応大学ヨット部では主将。卒業後は、父の代からその伝統を築き上げてきた名艇の名を受け継いだ<INDEPENDENCE 7>のオーナー/スキッパーとして数々の外洋レースに出場し活躍する。日本セーリング連盟(JSAF)理事、シーボニアヨットクラブ理事、三浦外洋セーリングクラブ理事等を務めながら後進の指導にあたる。


・だいぶ小さい頃からヨットに乗っていたのですか

 1950年代の始め、横浜に駐留米軍のヨットクラブがありました。父の叔父にあたる大叔父や父が横浜ヨットクラブ(YCC)というこのクラブのメンバーで、そこのクラブ艇だった“L級”というヨットでよくレースをやっていたのですが、父が所有していたこのL級に私も小さい頃から乗っていました。それこそ、小学生の頃でしたからコクピットにちょこんと座っているだけで、遊び感覚で乗っていただけですけれど、私のヨット歴と云うと、この頃から始まるわけですからだいぶ古い(笑)
 じつは、大叔父が大のヨット好きで、当時、大叔父の家には“Rudder”や“Yachting”という米国のヨット雑誌が机に山積みになっていたのを覚えています。父もこの大叔父の影響でヨットを始めたんですよ。
 本格的にヨットを始めたのは慶応高校に入ってからです。高校ではA級ディンギーに乗っていました。3年のインターハイで始めてFJに移った。ちょうど、FJが高校生の正式種目として導入されたときで、このインターハイでは、確か、A級とFJ級で3レースずつ闘った記憶があります。


・大学時代はどんなヨットライフを過ごしていたのですか

 私が入部したときの慶応大学ヨット部は50人を超える大所帯でした。当時の大学ヨット部は、1部、2部、3部制に分かれ賑やかでしたね。我々は、5月にオープニングレースである伝統の早慶戦で幕を開け、つぎに6大学戦、最後に、インカレで1年を締めくくる。そんな流れで1年があっという間に過ぎて行く。いまの学生達とは練習の内容も違うしレベルも違うから簡単には比較出来ないが、いまのほうがレベルは高いし愉しんでヨットに乗っていると思いますね。情報も多いし手軽に手に入る。昔は、上下の規律は厳しいし、情報もないので試行錯誤の連続だった。でも、ヨットに対する憧れと云うか夢があったように思います。いまは、いろいろな海の遊びが増えて、ヨットに対する情熱や夢が失われてしまった。だから、部員が集まらず廃部する大学も増えてくる。
 ヨットの魅力は自然を相手にして、たとえば、ヨットレースは自然と対峙して闘うことが醍醐味ですから、もっと、夢や憧れを持って欲しいですね。


・ヨットの魅力を支える艇種の選択肢も大事なことのひとつでは

 A級ディンギーが470級に変わったのはだいぶ前の話ですが、こんどはインターハイの艇種がFJから420級に変わる。FJ級は私が高校3年のときに導入された艇種ですから、こんどの420がインターハイに採用されるまでじつに50年近くも掛かっているわけです。その間、世界のヨット界は日進月歩で進化を遂げている。たとえば、ハイドロフォイルを使った新しい感覚の、先鋭的な艇種がどんどん誕生しています。
 つまり、艇種の選択を間違えれば、スキフやマルチハル等のスピード化していく世界とは互角に戦えないということです。スナイプは歴史のある素晴らしい艇ですが、インカレ艇種としての役割は終わったと思いますね。部員の減少に悩んでいる大学も1人乗りの艇種をインカレに導入すべきだと思うし、高校生もスキフやモスのように先鋭的な艇種にどんどん乗って新しい感覚を養わなければ、将来、世界とは闘えない。
 高校も大学も、艇種選択には積極的に21世紀にふさわしい新しい思想を取り入れるべきだと思いますね。


・歴史と伝統のある<INDEPENDENCE>の名を受け継いでおられますが

 現在の艇は<INDEPENDENCE 7>です。艇種はネルソン&マレック設計のワンデザイン35で、仲間と一緒にクラブレースや島回りレースに参加して楽しんでいます。じつは、進水したのは2003年の12月20日だったのですが、父がこの艇の進水式に車椅子で出席し、進水を見届けてその20日後に亡くなったものですから、私にとっては非常に印象深い艇なのです。
 <INDEPENDENCE>の歴史は古いんですよ。始まりは、確か1918年(大正7年)ですから、まだ、日本には数えるほどしかヨットがなかった時代に初代が誕生したのですが、父の平松栄一が慶応普通部(中学)時代の1927年(昭和2年)に、当時慶應の水泳部が所有していたこの初代<INDEPENDENCE>に出逢ってヨットの魅力にとりつかれ、以来、この艇名を踏襲して今日に至っています。
 ヨットレースは自然を相手に闘う醍醐味と緊張感がたまらなく好きなんですが、外洋レースは仲間と一緒に乗るのがいいですね。とくに、若いクルーと乗るときはいろいろな話が出来て愉しいし、気持ちも若返ってきますね。


・JSAF理事としてどのようなお仕事をなさっているのですか

 JSAFでは外洋系理事としてビジョン委員会、会員増強委員会、Japan Cup委員会などで活動しているほか、JSAFオリンピック準備委員会で全体のマーケティングを担当しています。2020東京オリンピック開催が決まってから、JSAFとしても、2020年に向かって国内のセーリングに関する注目度をおおいに盛り上げ、選手強化や運営委員の育成を促進するために、大手広告代理店と提携して広報活動とマーケティング活動を積極的に行うことになりました。
 その第一弾が、7月1日にキックオフとなる記者会見を実施した「セーリング日本代表チームの愛称と絵画募集」(www.jsaf.or.jp/campaign)です。このコンクールを手始めにいろいろな企画を立ててメディアへの露出を増やし、東京オリンピックまでにはセーリングをもっとメジャーなスポーツにしたい。その目的のため活動するのがマーケティング委員会です。
 もうひとつ、オリンピックの準備に向かって大切なことは、若く有能な人材の発掘と活用ですね。いまも立派に活躍している若手も大勢いますが、もっと、選手強化や運営役員などのスキルアップや人材が必要になります。若手発掘も私たちの大切な役目です。
 ヨットの素晴らしさをもっと知ってもらいたい。そのために、これからも頑張りたいですね。