yachting(ヨッティング)は、海を愛するひとびとの総合情報羅針盤です。

連載 あるオールドソルティ―の追憶

第十六回  天然素材  武村洋一

 天然素材しかなかったあの時代のヨットは、いまのヨットに比べると、性能、耐久性、保守管理、すべての点で劣っていた。

A級ディンギーの場合、船体はもちろん木、マスト、ブームは丸太、ヤードは竹竿、セールは木綿、ロープは木綿または麻だった。新艇の値段は、ヤード、セール、ロープなしで6万円が相場だった。造船所に2万円ほど手付金として持って行くと、早速工場の一隅にステム、キール、トランサムが据えられる。ところが、そのままで一向に作業がすすまない。さらに2万円持って行くと、いよいよ外板張りに入る。すべてのかしめは銅のリベットで固める。A級ディンギーは20本近いフレームに巾のせまい外板を鎧張りにするから数えきれない数のリベットを使う。時々造船所にチャンチャン(リベット打ち)の手伝いに行った。
レースの日程が迫り、完済前に、三拝九拝して出来上がったヨットを渡してもらう。セールも同様セール屋に無理を云って作ってもらう。ヤードの竹竿は野毛の竹竿屋で買うのだが、バスに乗れないのでけっこうな距離を担いで運んだ。何故かピカピカの新艇、ニューセールは速かった。

 実は、当時すでにアメリカのデュポン社からポリエステル繊維のセールクロスが生産されていた。そのダクロンセールは、軽い、型崩れしない、縮まない、超高性能セールで木綿のセールではまったく歯がたたなかった。だから、レースの帆走指示書には、「ダクロンセールの使用を禁止する」という条項が追加された。
 シーズンが終わる頃、4年生幹部が深刻な顔で集まって、造船所やセール屋の借金について相談するのだが、いい知恵があるはずもなく、結局OB会に泣きついてなんとかしてもらう。毎年その繰り返しだった。
 造船所もセール屋も大学ヨット部とは長いつき合いで、古いOBとは顔なじみであり、よく無理をきいてくれた。

 早稲田は、横浜本牧の大原セールだけでセールを作っていたのでつき合いも親密だった。レースが終わると、勝っても負けても大勢でおしかけて風呂と食事のご厄介になった。その代わり、食事の前にセール屋のおやじ大原弘山が奏でるよくわからない琵琶の演奏を聴かなければならなかった。
 琵琶のベロンベロンを聴いて、酒を飲んでベロンベロンに酔った。

武村洋一 たけむらよういち

1933年神奈川県横須賀市生まれ。
旧制横須賀中学から早稲田大学高等学院、早稲田大学に進みヨット部に。
インカレ、伝統の早慶戦等で活躍し、卒業後は黎明期の外洋ヨット界に転じ、
国内外の外洋レースに数多く参加し活躍。3度のアメリカズカップ挑戦にも参画。
主な著書に「海が燃えた日」「古い旅券」。