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連載 あるオールドソルティ―の追憶

第十一回  東京湾口の防潜網  武村洋一

 東京湾口、神奈川県の観音崎と千葉県の富津岬の間に潜水艦侵入防止の防潜網が設置されていたのを知っている人は、よほど古い漁師かセーラーである。第二次世界大戦後、アメリカとソビエトが厳しく対立した東西冷戦の時代、日本を占領していた米軍は、ソビエトの東京湾侵入、首都圏攻撃に備えて東京湾航路のいちばん狭いところに潜水艦侵入防止ネットを設置したのだった。直径1メートルぐらいの球形の鋼鉄製ブイを連結し、その下に、ワイヤーの網を張り巡らすというなんとも大胆な防備策であった。我々のヨットは、何ヶ所かに設けられた小型舟艇通行口があって、そこを航行できたのであまり問題はなかったが、大型船はどうしたのだろうか?という疑問が消えない。

あれから60年、東京湾も大きく変貌した。まず、自然の浜や磯が激減し、海水浴場など海と遊ぶ場所がなくなってしまった。また、東京港、横浜港に入港する大型船が大幅に増えた。それらは、一般の貨物船、コンテナ船、タンカー、自動車運搬船などで、1日に600隻が浦賀水道を往来するという。そんなところを、機走能力のない小型のヨットがうろうろしていたらたちまち大事故が発生してしまう。だから、館山合宿もディンギーの回航も、いつの間にかやらなくなってしまった。

一方、東京湾内の数ヶ所に外洋ヨットやモーターボートのマリーナが出現し、限られた水面を大型船とすみ分けしてレースやクルージングを楽しむ時代になった。当然、事故防止、安全対策なども組織的に行われている。
オーストラリアのシドニー湾やカリフォルニアのサンフランシスコ湾では、どちらかと云えばセーリング優先で、ヨットレースのスタートを大型船が停船して場所を譲っている。現にシドニー湾では毎年12月26日のボクシングディに行われる「シドニー・ホバートレース」のスタートシーンが年末の一大行事になっていて、海面も湾口サウスヘッドの絶壁の上も、応援の人たちで大賑わいである。また、サンフランシスコ湾では、なんと、超高速カタマランでの「アメリカズカップ」が行われた。

武村洋一 たけむらよういち

1933年神奈川県横須賀市生まれ。
旧制横須賀中学から早稲田大学高等学院、早稲田大学に進みヨット部に。
インカレ、伝統の早慶戦等で活躍し、卒業後は黎明期の外洋ヨット界に転じ、
国内外の外洋レースに数多く参加し活躍。3度のアメリカズカップ挑戦にも参画。
主な著書に「海が燃えた日」「古い旅券」。